典座教訓より
「事を作し務を作すの時節は、喜心・老心・大心を保持すべき者なり。所謂喜心とは喜悦の心なり。・・・今吾れ、幸い人間に生まれ、而も此の三宝受用の食を作る、あに大因縁に非ざらんや。尤も以て喜悦すべきものなり。・・・所謂、老心とは父母の心なり。例えば父母の一子を念ふが若し。念を三宝に存すること、一子を念ふが如くするなり。・・・所謂、大心とは、其の心を大山にし、其の心を大海にして、偏無く党無き心なり。」・・原漢文
今年は永平寺第三世徹通義介禅師没後七百年ということで、七百回大遠忌の法要が永平寺や加賀の大乗寺で営まれています。永平寺や総持寺などへ納骨などで、一泊参籠いたしますと、修行僧が作った食事をいただきます。僧堂では食事を作る役職を典座といい、食事を作る場所を典座寮といいます。そしてその寮の責任者のことを典座和尚といいます。六つの役職の一つであり、重要な役職であります。
道元さまは悟りにいたる正門は坐禅であると申されました。しかし、この料理を作ることも坐禅と同じように重要な悟りそのものであると説かれました。つまり日常すべての行為が、その心がけ一つで立派な修行なのであり、それが悟りの姿そのものなのであります。
そこで道元さまは典座教訓という教えの中で、典座の重要性を説かれ、典座の心構えを説いておられます。道元さまは料理を作るにあたっては喜心・老心・大心の三心を典座教訓という教えの最後のまとめとされました。引用文の大意は、「典座職という役割を与えられ、その務めに当たるときは喜心・老心・大心の三心が必要である。その喜心というのは喜びをもってこの職に当たることである。現在自分は縁あって人間に生まれ、しかも三宝供養のための清らかな食事をつくらさせていただいているのであり、このことは有難き因縁であります。喜悦すべきことであります。
次にいわゆる老心とは父母の子供に対する心であります。典座は食事を作るに当たっては三宝(仏・法・僧)に供養する食事を作らさせていただいているのだという思いを常に持ちつづけることが大切であります。それはあたかも親が子供を思いつづけ、片時も心を離さないようなものであります。それは菩薩さまの心であり「同事」の心であります。
次にいわゆる大心とはその心が高きこと山のごとく、広きこと海のごとくであります。そこには一切の偏りの無い心であります。」
食事を作る役割といえば、一般的にはなにか下賎で地位の低い者が行う役割であると考えがちであります。しかし、道元さまは職に上下なし、どの様な仕事も弁道であり、悟りそのものの姿でもあると考えられていました。これは道元さまが中国に渡られ、二人の典座との出会いによってこの思いを確たるものにされたのであります。道元さまは典座職を一色の弁道なりと申されました。それは典座という職は純粋で雑念がなく仏道修行そのものであるという意味であります。
このように典座が道心をもって料理するとき、調理するということは材料の本来持っている生命を生かし、本来の生命を引き出すことになります。六味三徳を生かすことであります。現在でも僧堂では、修行僧は食材料を無駄にいたしません。例えば里芋の皮は味噌汁に入れるなどその例であります。つまり残飯はほとんど出しません。これは道元さまの半杓の水の精神が生かされているからであります。
戦後六十余年、食生活も随分と変化し、その考えも変わりました。昭利二十年代は空腹を満たすために胃袋で食べ、三十年代はそれが満たされた為に、味で食べ、四十年代は味が満たされたので色、形、目で食べ、五十年代は飽食の時代となり、食べ過ぎによる病気の心配をする、考えて食べる、頭で食べる時代になりました。そして昨今の日本は精神的飢餓の時代となりました。食べ物に対する感謝の心が薄くなり、生ゴミや残飯があふれる時代となってしまいました。そして家庭では料理を作らず、冷凍食品や既成品の袋ものの食品が増えてきました。これも止むを得ないことではありましょうが、調理というものは作る側も、食べる側も感謝と慈悲の心を忘れてはなりません。道元さまが教えられた三つの心、喜心・老心・大心をもって調理にあたることを念じます。また食事をいただく側も同様の心を忘れてはなりません。
(合掌)
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