対大己法より
「大己五夏の闍梨に対しては、須く袈裟の紐を帯し、及び坐具を帯すべし。」
「通肩に袈裟を被することを得ざれ、経に曰く、比丘、佛と僧と及び上座とに対しては、通肩に袈裟を被することを得ざれ。」
この大己法と申しますのは、上坐の僧つまり先輩の僧に対して如何にふるまうべきかということを、道元さまが「教誨律儀」とか「事師法」とか「入衆法」などより六十ニケ条を抽き出されたものであります。その中で最初のこの三ケ条は袈裟に関する条目であります。道元さまが如何に袈裟というものを大切に考えられていたかが推察できます。
ただしここで申さねばならないことは、大己闍梨とは単に年が上であるとか、先に僧院に居たというだけでなく、修行も重ね人格も教法も全ての面において尊敬に値する者でなければなりません。
そうであれば、大己闍梨の前に出るときは袈裟の紐をしっかりと締めて、お拝をするための坐具を持って、着物、大衣の乱れのないように十分に気を付けて行かねばならないということであります。それは上座の僧より仏法の教授を受けるのであり、そのためには自己の服装を整えるのは当然の気配りでありますし、大己に対する尊敬の念をあらわすことにもなるのであります。
袈裟の功徳につきましては既に述べましたが、ここに再びその一節を紹介させていただきます。
「佛佛祖祖正伝の衣法、まさしく震旦国に正伝することは、崇嶽の高祖のみなり。・・嫡々面授の佛袈裟を正伝せるは、崇嶽の高祖のみなり。・・釈迦牟尼如来、正法眼蔵無上菩提を摩訶迦葉に附授しましますに、迦葉、佛正伝の袈裟ともに伝授しまします。嫡々相承して曹渓山大鑑禅師にいたる、三十三代なり。・・おほよそしるべし、袈裟はこれ諸佛の恭敬帰依しましますところなり。佛身なり、佛心なり。解脱服と称し、福田衣と称し、無相衣と称し、忍辱衣と称し、如来衣と称し、大慈大悲衣と称し、・・まことにかくのごとく受持頂戴すべし。菩提心をおこさんともがら、かならず祖師の正伝を伝受すべし。われらあいがたき仏法にあひたてまつるのみにあらず、佛袈裟正伝の法孫として、これを見聞し、学習し、受持することをえたり。佛心を単伝するなり、佛髄を得たるなり。まのあたり釈迦牟尼佛の袈裟におほわれたてまつるなり、釈迦牟尼佛まのあたりわれに袈裟をさずけましますなり。」
この袈裟功徳の巻は、洗浄、洗面などの巻と同様に威儀作法について、実に綿密に、厳しくそれを説いておられます。それは説かれた対象が修行僧であるからであります。袈裟とはいうまでもなく出家者が身にまとう衣服であり、本来は身を寒暑より防ぐための衣服であります。そして人間釈迦も身にまとっていたものであります。もとより防寒防暑を目的とするならば、決して華美豪華なものでもなかったのでありますが、その袈裟が特別の意味を持つのは、釈迦がまとっていたと同じ形状の袈裟が嫡嫡相承して来たことにあります。道元さまはこの巻において袈裟の所伝、功徳、材料種類、着用の作法、洗い方、縫い方にいたるまで、ことこまかに説き示しておられます。お釈迦さまがまとっておみえになった袈裟は紐がなく、現在も南方佛教(上座部佛教)の僧侶達がそれと同じ形状のものをまとっています。紐を付けるようになったのは舎利弗が初めと言われていますが、それはともかく道元さまが袈裟に対する思い入れが並のものでなかったことがうかがえます。それは袈裟が「まのあたり釈迦牟尼佛の袈裟におほわれたてまつる」を意味するが故であります。また、道元さまは威儀即仏法を説き、行住坐臥「佛祖の行履」に従うべきことを説き、「道を得ることはまさしく身をもって得るなり」「修証一等」を強調されたのであります。そのように特別な意味のある袈裟であればこそ、大己に対面するときは偏担右肩し、坐具を持し、正しい作法に従うべきであります。
(合掌)
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