教授戒文より
「第一不殺生、生命不殺、佛種増長す。佛の慧命を続くべし。生命を殺すことなかれ」
この一節は教授戒文の十重禁戒の第一不殺生戒の言葉であります。教授戒文は道元さまのもとへ多くの人たちが戒を受けに来ましたが、その度に道元さまはその人たちに説戒をして、その後に授戒をされました。その説戒の言葉を侍者であり、弟子であり、永平寺二世となられた孤雲禅師が筆録したものであります。そして佛戒は一戒光明といい、諸法実相の道理を説いたものであります。諸法実相の巻に
「仏祖の現成は、究尽の実相なり。実相は諸法なり。諸法は如是相なり。如是性なり。如是身なり。如是心なり。如是世界なり。如是雲雨なり。如是行住座臥なり。如是憂喜動静なり。如是拄杖払子なり。如是拈華破顔なり。如是祠法授記なり。如是参学弁道なり。如是松操竹節なり。」
という言葉があります。
般若心経に諸法空相という言葉があります。この言葉は般若心経の根本の教えを一言で言い表した言葉であります。これは「この世のすべてのものごとは空であり実体がない、仮に和合したものである」ということであります。そしてこの諸法空相と諸法実相とは、結局同じことを意味する言葉なのであります。この諸法実相という言葉は法華経方便品に出て参ります。そしてこの諸法実相も悟り、真理を表す言葉として引用されたのであります。諸法実相とは現象を有るがままに有らしめているものは仏(真理)であるという意味であります。したがって諸法の一つである私たち人間も仏であり、真理としての存在ということになります。仏道修行はこのことに気づき、求道体現せんとすることであります。この世のあらゆる存在はそのありのままの姿が、ただちに真実の姿であるということになります。つまりあらゆる存在はあるがままに有るのであって、右にも左にも偏らない存在として、とらえられなければならないのであります。ここに諸法実相という言葉は、その簡潔な言葉の中に仏教の世界観、佛の生命の究極が秘められているというのであります。
道元さまは「お釈迦様がこの世に現れ、達磨さまが中国に渡られたのは、そのことそのままが、ありのままの真実である。この世の諸々の実在は、それがそのまま真実の実在である。それがそのままものごとの本質である。それがそのまま、ありのままの物体である。それがそのまま、ありのままの心理作用である。それがそのまま、ありのままの世界である。眼前の雲や雨はそれがそのまま、ありのままの天然現象である」と説かれました。しかし、人間はその欲望により、この世に存在する多くのものを本来あるべきところ、あるべき姿でなく、人間至上主義の心で、あるいは破壊し、殺しているのです。ここに引用いたしました一節の意味は「この世のあらゆるものの命を奪ってはならない。その逆にあらゆるものが本来もっている生命を生かし、あるべきように在らせ、そしてそれを増長しなくてはならない。そうしないと佛の命、悟り・真理・真如の世界が壊されてしまうのだ」ということであります。
ところが現代は物質万能、経済優先の時代であり、人間はその欲望を満たすために他の動物や、植物の命を奪い、地球環境は日に日に悪化しているのが実状であります。あるいは人間が互いに戦争という形で殺し合うという恐ろしいことさえあります。
曹洞宗が人権・平和・環境を三大スローガンに掲げたのも、その精神はこの戒文にもよるのであります。
私達は釈尊成道の心「有情非情同時成道、草木国土悉皆成仏」のお悟りの心に立ち帰らなければなりません。戒など不要の世界の現成こそ、理想の世界ではないでしょうか。
(合掌)
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