曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

今 [No,1372、11月27日〜12月3日]

静岡県浜松市 善住寺住職 赤穂津康裕 老師

 先日、私の日記を読み返したら、こんな文章が書いてありました。

 私が、本山に安居しているとき、当時の後堂老師に「どうしたら坐禅が出来ますか?」尋ねると老師曰く「お前は、ものを考えずに座れないようだから、問題を出してやる。(すると部屋の外から、『ゴーン』と梵鐘が鳴りました)今鳴った鐘の音を消してみなさい、さあ、帰れ」でした。いまだに考えています。老師はもう死んでしまいましたが、私は何時まで考えればいいのでしょう。

 次の文章が続いていました。

 私が、中学校に通っていたとき、数学の先生に「赤穂津くん、円から正五角形を描く事が出来るから証明してみたら。」と言われ。あれから25年経ちますが、いまだに考えています。先生は転勤されてしまいましたが、私は何時まで考えればいいのでしょう。
何となく、一生考える事が多い人生を歩んでいます。今って『いつ』なんでしょうかねー。

 5年ほど前の文章ですが、書いたときのことを鮮明に思い出しました。さて、この事について、般若心経を読み返事を見つけようとするに、「今」とは、自分の眼耳鼻舌身意一つ一つが仏様であり、自分は、仏様の固まりだと理解することから始まり、沢山の人に囲まれた一生は、その関わる一人一人が仏様であることを知る、つまりは、自分は、沢山の人に生かされ、また沢山の人を生かしていることを忘れないで、生きていく事こそが、「今」を掴む第一だと思う。その第一を、考えずして次々と考えては、無駄な一生を馳走するだけだ。最近よく耳にする言葉に「他人様に迷惑をかけない」と言う言葉を聞く。外ばかりを見て、自分が抜け落ちている様に聞こえてくるのは、私だけであろうか?「色声香味触法」は「眼耳鼻舌身意」と対で、智慧は生まれる。私の古くからの友人は、光を失って本当の仏様が見えたと言った。「今」とは、一生懸命生きるって事ではないでしょうか。

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