歳末を迎え心せわしい頃となりました。皆さま如何お過ごしでしょうか。今日は人々が共に苦しみ、共に悲しみを共感する「同苦・同悲」についてのお話をさせていただきます。
私はかつて中学校の教員をしていました。ある年の十二月五日昼下がり、一人の来客が学校にありました。その来客は私の勤めていた学校の校医さんでした。校医さんは校長先生にお話したいことがあるということでした。私は校医さんを校長室へご案内いたしました。私も校医さんのご子息の担任学年の教師ということで、校長室で同席することになりました。校医さんの顔色は心なしか蒼白でした。一語一語噛みしめるように話が始まりました。
「校長先生、お話ししたいことがあります。実は私の長男が明日から学校を休ませていただきます。」
「ご長男はどうかなさったのですか。」
「私は医者ですので、このことを言うのは大変辛いのですが、実は長男は白血病なのです。あと二ヶ月の命なのです。」
「それは本当ですか。私には信じられません。息子さんは昨日までバレー部のキャプテンとして元気に頑張っていたではありませんか。生徒会長としても頑張っていたではありませんか。」
「私は医者です。息子の余命はあと二ヶ月です。二月の上旬までの命です。」校医さんの眼は涙で潤んで見えました。
校医さんの長男は翌日から入院いたしました。血液型の同じ教員は進んで輸血を申し出ました。私も輸血をいたしました。全快してほしい、一日も長く生きていてほしいと教員も生徒も心より願いました。バレー部員をはじめ多くの生徒が見舞いに病院を訪れました。しかし、校医さんの長男の病状は日に日に悪化してゆきました。そして二月三日短い生涯を閉じました。
諸行は無常であると言葉では申しますが、医者であり、父親であるだけに、この二ヶ月、そして二月三日の死の現実、校医さんの心情は、私には言葉では言い表すことが出来ません。辛かったでしょう。悲しかったでしょう。後日校医さんは私に「出来ることなら自分と代わってやりたい思いでした。」と胸の内を吐露されました。
死後、日を置かずして、校医さんは音楽好きだった長男が使っていたレコードプレーヤーを学校へ、形見として寄進されました。立派なプレーヤーでした。体育館での生徒集会で生徒達は、在りし日の生徒会長を偲びながら、暫しショパンの別れの曲に耳を傾けました。眼に涙を浮かべる生徒もいました。
生徒達はその音楽を通して、身近な友達の死という現実に、悲しみを共有いたしました。このことは私にも過去の忘れ得ぬ思い出となりました。さまざまな場面で他人の苦しみ、悲しみを共感・共有出来る人で有りたいものです。
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