曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

お説教は「くどい」くらいが丁度いい [No,1382、2月5日〜2月11日]

三重県度会郡 廣泰寺徒弟 多田實道 師

 日常茶飯事に繰り返されるあの人の小言。事ある度に受ける誰かさんのお説教。その「くどさ」にうんざりしたことって、ありませんか?聞いている方としてはたまったものではなく、「はよ終わって〜」と心のなかでひたすら呟いた経験、誰もがあるのではないでしょうか。しかし、考えてみて下さい。本来嫌な思い出であるはずの「くどい」話が、なぜはっきりと脳裏にこびり付いているのか。それは、くどくどと何度も繰り返されたから、記憶に残ったのです。
 かの松下電器の創始者・松下幸之助翁は、「社長の思いを口で伝えようとしても、幹部へはその10分の1・末端の社員に至ってはその100分の1しか伝わらない。だからその思いをすべて伝えるには、10倍・100倍にして繰り返し口にしなければならない」というようなことを言われたそうです。私達は、「くどい」くらい繰り返して言われなければ、性根にしみないのではないでしょうか。
 道元禅師も、修行者の心構えとして次の様に仰っています。師匠の言葉というのは、一度聞いたことがあるからもう聞かなくていい、などというものではない。「聞たる上にも重て聞べし」と。それは、あたかも霧のなかを進めば、知らぬ間に衣服が潤うようなものである、と。(岩波文庫本『正法眼蔵随聞記』121頁)
 「良薬は口に苦し」と申します。自分にとってためになる忠告や助言というのは大抵耳障りなもの。それを一度ならずくどくど繰り返されるのは、えてして不愉快なことかも知れません。しかし、私達はそれを重ねて聞くべきなのです。そうすれば、霧の中で衣服が潤うように、自然とその言葉が身に付くのでしょう。また逆に、忠告や助言をする立場のときは、たとえ相手が嫌な顔をしようと、繰り返し言い続けなければいけません。そう、お説教は「くどい」くらいが丁度いいのです。

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