先日、友人の結婚式に招かれまして、新幹線で東京へ向かっておりました。静岡駅を過ぎますと・程なく左手に富士山が見えてまいります。その日は雲ひとつない快晴で、真っ青の空に白い雪をいただいた富士山の、素晴らしい山容を見ることが出来ました。
翌日結婚式も無事に終わり、さて今度はまた新幹線で戻ってきます。すると今度は昨日あれだけ綺麗に見えた富士山が、今日は曇りのためにあまりその美しい姿を見せてくれませんでした。その時にふと思い出した言葉がありました。「晴れてよし、くもりてもよし 富士の山」この言葉よくよく考えてみると中々味わい深い言葉であります。
普通我々は物事を良い悪い、好き嫌いなどとより分けます。晴れているのは天気が“良い”、曇っていたり雨が降れば天気が“悪い”、と言っています。でもそれは私たちが勝手にそう思っているだけなのではないでしょうか?晴れていても曇っていても、それは富士の山に変わりはない。「晴れているから良い」「曇っているから悪い」「いやだからこれをやらない」「好きだから食べる」。このような会話を私たちは普段、当たり前のようにしています。そんな単純で自分勝手な思いこみをしている自分に気付かされます。この我見、つまり自分勝手なモノの見方を捨てなければ、本当の姿、目の前に広がっている仏様の世界は見えないよ、とこの句は教えてくれているようです。この我見を捨て、もちろん、それはロで言う程簡単ではありませんが、富士の山は晴れても曇っていても富士の山と思える生き方をしたいものです。
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