曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

いただきます [No,1408、8月6日〜8月12日]

静岡県静岡市 石蔵院住職 槇 恒泰 老師

 今回の法話は日常の生活の中に生きている仏教の教えについてお話を致します。
 その日常の生活の中の言葉の一つに、食事をする時に言う言葉「いただきます」があります。「いただきます」の(いただき)とは頂点の頂、頂上の頂です。よく山のてっぺんの事を「山の頂き」と言います。山の頂とは、その山の最高の所、それ以上、上の無い、つまり頂上の事です。ですから頂とは最高、最上の事を表わすのです。
 ではなぜ目の前の食事が最高、最上を意味する「頂き」なのでしょうか。
 それは目の前の食事には数えきれないほどの沢山の手間が凝縮されているからです。
 たとえば、その食事を造って頂いた人達の手間、またはその食材を集めて頂いた人達の手間、そしてその食材を作り育ててくれた人達の手間、さらには、食材を恵み育んでくれた大地の恵み、自然の恵み、または、その食材をおいしくなるようにと努力して今に伝えて頂いた先祖代々の方々の智慧と苦労、そうしたものが全て集まっているのが目の前の食事なのです。そしてその食事を頂く私達は、自分お大切な命を保ち、健康を維持することが出来、それによって目的や目標に向かって頑張る事が出来るのです。まさに私達には無くてはならない必要不可欠の物、大変有り難い、無常、最上の物、それが目の前の食事なのです。ですから食事の時は、それら全てに対して、報恩と感謝の意味を込めて「いただきます」と言うのです。

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