「盆は嬉しや別れた人も晴れてこの世へあいに来る」本年も夏本番を迎え、まぶしい日の光に目を細め汗を流す今日この頃と共に、お盆を迎える季節となりました。
昔から、お盆にはご先祖様が各家へ里帰りをするといわれ、それに合わせた様に遠くにいる親戚の人々が帰省し故郷での一時を過す時でもあります。私達は普段慌ただしい現在社会の中で生活しています。自分では正しいものを見ているつもりでも意外と多くを見過ごしているものです。特に自分自身の心の不安や寂しさ、緊張やストレスのある時は自分の感性、感覚がにぶる事すら気が付かないものです。しかし、そうした不安感が消えたら色々なものが見えてきます。今まで聞こえなかった鳥の声、風の音、足元の草花そして微妙な匂いまでもに気が付くのです。又、自分自身も己ずと見えてきます。
川を《歳月》という言葉に換えてみますと私が生きている川の上流には誰かが住んでいたのでしょう。歳月という観点から見ますとご先祖様という『いのち』です。そして又、はるか下流という遠い未来に誕生する子孫という『いのち』であり、今この岸にある自分という『いのち』はその中流を今まさに流れているのではないでしょうか。この悠々と流れている『いのち』の流れの中に自分が生かされているという事に気付かなければいけないのではないでしょうか。いろんな声、音、色そして自分自身、他を思う心なのです。ご先祖様のみ霊にお参りする時にたくさんの無限の『いのち』が自分というものに凝縮している事に気付き、お盆が『いのちの集』でありその中でにぎやかに遊ぶ我が子や孫にその命の流れを見るのです。お盆は私達が普段忘れがちな『今は亡きご先祖様のいのちと共に今自分がここに在るんだ』という実感する時であり手を合せて感謝をする時なのでしょう。
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