岡部町桂島の梅林院へ、以前にお伺いしたとき、参道の左側の山裾に新しいお地蔵さんが建てられていたのです。立派なお地蔵さんで、そのそばには碑も建っており、その碑には「鉱次郎地蔵」「故鉱次郎氏は、明治二十八年榊原家に生まれ、昭和五十一年九月二十七日八十二歳の生涯を閉じました。粒粒辛苦して農事に励み、常に仏を尊び、梅林院五代に亘り、身心を尽くし、物心両面を惜しまず、公益に率先服すること多く、よく隣人に益しました。茲に老人会はその生涯を讃え、人々の協賛を得て、後世まで伝えるために、地蔵尊を建立しました。 昭和五十二年一月 桂島老人クラブ一同」と書いてあったのです。そうした鉱次郎さんの立派なお地蔵さんでした。その鉱次郎さんは、人に施しをされるんです。畑でじゃが芋がとれれば、じゃが芋はどうかねと人にあげるんです。お互いにそうしたことはするんですが、あの人にはあげるがこの人にはあげない。この人にはあげるがあの人にはあげないという好き嫌いがある人ですが、鉱次郎さんにはそれが全くないんです。物の施しばかりじゃない。体でも施しをするんです。あっちの家で田植が遅れていると、行って手伝ってあげる。そんな鉱次郎さんだったのです。その鉱次郎さんが亡くなられたのです。誰が言い出したのか、鉱次郎さんのお地蔵さんを建てようじゃないかと言う話が持ち上り、桂島老人クラブの人達が一丸となってこのお地蔵さんを建てたのです。大変珍しいお地蔵さんの建立です。
三年前の春先でした。そこを通ったので鉱次郎さんのお地蔵さんにお参りをしたのですが、その鉱次郎さんは、あたたかそうな赤い毛糸の帽子をかぶっており、誰が作ってくれたのか、たんぽぽの首飾りをかけておりました。それを見て私は思わず「鉱次郎さん、いいなあ」と声を出してしまったのです。
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