曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

ブッダが説く「よりどころ」とは [No,1412、9月3日〜9月9日]

三重県南牟婁郡御浜町 林松寺住職 服部真覚 老師

 何か「よりどころ」となるものが欲しい。こうした気持ちは誰にでもあると思います。また最近特に、「スピリチャル」「癒し」などの言葉をよく聞くようになりました。こういった言葉が好まれる理由のひとつには、自分のよりどころがはっきりしない「不安な気持ち」があるのではないでしょうか。
 ただ、こうした気持ちは、決して現代に限ったものではありません。2500年以上も前のインドにも、「よりどころ」についてブッダに質問した修行者がいました。…「私はなにかにたよることなしに大きな煩悩の激流をわたることはできません。この激流をわたるための〈よりどころ〉をお教えてください」…彼の質問は、現代の私たちの「不安や疑問」を代弁しているようでもあります。
 この修行者に対する、ブッダの答えは、「もろもろの疑惑を離れ、妄執の消滅を昼夜に観ぜよ」というものでした。よりどころと示せという弟子に対して、たとえば、ブッダである「私」をよりどころにせよとか、この「教え」をよりどころにせよとか、そういったことは述べていません。教えに従って自ら実践することを説いているだけです。
 本当の「よりどころ」というのは、自分が拠りかかって身をあずけてしまうような何かではなく、いうなれば、自分を導いてくれるガイドラインではないでしょうか。それは、ブッダが歩んだ道であり、その道を歩むためのよきアドバイスでもあるのです。

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