曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

感謝して [No,1418、10月15日〜10月21日]

静岡県牧之原市 慈眼寺住職 高橋正俊 老師

 皆様のご家庭では、食事の始めに手を合せ「いただきます」、食事の最後には「御馳走様でした」とお唱えすると思います。
 この普段何気なくお唱えしている「いただきます」と言う言葉にはどの様な意味が込められているのでしょうか。
 道元禅師の食事に関する細かい作法を定めた「赴粥飯法」という書物の中に「五観の偈」という食事の前にお唱えする言葉があり、その第一に「一つには、功の多少を計り彼の来所を量る」という言葉があります。これは今目の前の食物が食事として料理される迄、どれ程多くの人の手を経ているか、その多くの人々の苦労を思い量って「感謝をしていただく」ことを教えております。そしてもう一つ大切な事は、私達の目の前に届けられた食物には「命」があり、私達のこの身は、この数多くの「命」をいただいて、この身を保ち「生かされている」という事を忘れてはならないのではないでしょうか。
 つまり「いただく」という事は、今出された食物が多くの人々の手によって運ばれた事への感謝の気持ちと、私達のこの「生かされている命」を保つ為、数多くの「命」を「いただく」という二つの意味が込められた言葉であります。
 この様に言葉の意味が分かってきますと、食事を心からありがたく感謝する事ができ、生かされている「我が命」がかけがえのない大切な身であり、また生かされている「他の命」も同じ「大切な命」に代わりがない尊ぶべき存在であると気付き、決して粗末にはできない気持ちになるのではないでしょうか。
 どうぞ、この言葉の意味を良く噛み締め、目の前に用意された食事を「いただきます」様お願いいたします。

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