人は相手の事を本当に理解しようとするととても時間が掛かります。解り合えたようでもささいな事で喧嘩したりするのは、生きて来た時間・環境・経験などの違いからでしょう。
元気な人とならば会話と身ぶり手ぶりでうまく思いを伝え合えますが、相手が病気となると健康な人には計り知れない痛みや苦しみが伝わるのに何倍も掛かります。それが長期に亘る重篤な病の時は患者本人も介護する家族も大変な思いをします。
良くこちらがお寺ということもあるでしょうか、檀家さんが立ち入った事までお話しになられますが、話は一般的な会話の他、過去・現在家族の中に重病で介護を要した方がおられると、介護する家族側の大変さを良く訴えられましたが、いざ我が家に介護を必要とする者が出るとあの時言われた事が良く解りました。
人の体力・命は一人分であり、もう一人分面倒見ようとするとかなりの無理を強いられます。
お釈迦様は修行には苦行も楽な行も良くない、その間「中道」を行きなさいと説かれました。最近は無理しない介護が説かれているようです。介護する側が苦労してばかりでは共倒れになりますから、これもお釈迦様の説かれた中道につながると思います。
この世にはこの他に貯蓄と消費、健康と害、好き嫌いなど片方に偏りがちな事が溢れていますが、これもバランスよく対応しなさいと説かれています。無理が蓄積するとどうしても愚痴が出そうになります。そうなったら笑顔になってみてはいかがでしょうか?陽気に過ごせばストレスも無くなると言います。明るい気持ちでいれば嫌なことも苦にならない事があるといいます
聖徳太子も十七条憲法の中に「心の怒りを断ち、顔の怒りを捨てよ」と記しています。怒らないと言う事は相手の立場に立ってみる心の余裕を持つと言う事だそうです。
お釈迦様も人に笑顔を施せと教えています。
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