曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自省の心 [No,1444、4月14日〜4月20日]

愛知県田原市赤羽根町 大栄寺住職 彦坂文丈 老師

 先日、私のお寺にある親子が遊びに来ました。お母さんとまだ小学校に上がる前くらいの小さな女の子です。2人はお寺の池の鯉に興味を持った様子で、しばらく池の中を眺めていたのですが、そのうちに、女の子が小石を手に取り、池の中に投げ入れ始めたのです。投げ入れたときにできる波紋が面白いようで、次から次へと投げ入れます。その様子をお寺の中から見ていた私は、少し気になったのですが、子供のすることだから仕方ないか、それにお母さんもついているから、直に注意をしてやめるだろうと思い黙って眺めていました。しかし、いつまでたってもいっこうにやめる気配がありません。それどころか、ついにはお母さんも一緒になって、石を投げ入れ始めたではありませんか。さすがにこれにはビックリして、私もお寺から出て行き注意をしました。
 近頃の親御さんを見ていると、気になることがあります。それは、静かにしなければいけないところでは我慢をするとか、回りの友達には優しく接してあげるといった、とても簡単で、少なくとも親として教えなければならないことを、教えていない方がいるのではないかということです。そして、そういうしつけや道徳は、すべて幼稚園や学校の役目だと考えているようです。それでいて、学校で授業中に集中力がないとか、周りの友達をいじめてしまい、先生に怒られるというようなことがあると、自分が子供のしつけをしなかったことは棚に上げて、うちの子供は悪くない、注意した先生の方が悪いといった具合に、すべてを学校や先生の責任にして、抗議する人までいるようです。まったくおかしな話です。
 自分の方に非があり、自分が悪くて引き起こしたことなのに、それに気づかず、相手のせいにしたり、社会のせいにしたりする。私たちは誰でもこういう過ちを犯しがちです。しかし、こういう考え方では、いずれ他人からも周囲からも相手にされなくなってしまうのではないでしょうか。何でもかんでも全部自分に責任があるという考え方をする必要はありませんが、何かトラブルがあったときは、まず自分に問題がなかったかどうか振り返ってもらいたいのです。そういった自省の心のある人は、知らず知らずのうちに、自分という器を大きくしていくことができるのではないでしょうか。

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