「刹那」という言葉があります。一般的には刹那的とか刹那主義というとあまり良い意味では使われません。後先の事を考えずに今さえ良ければ良いという自分勝手な考え方としてよく使われます。
しかし本来の意味を考えると、かなり違ったものです。元々「刹那」とは仏教の言葉で時間を表す最も小さい単位のことです。一刹那とは七十五分の一秒だとか、指を弾いた音の時間の六十五分の一だとか諸説ありますが、とにかくものすごく、極めて短い、まさに点のような「瞬間」のことなのです。
道元禅師は正法眼蔵という書物の中で「刹那消滅」といっておられます。生きる滅すると書いて生滅です。全てのものは、私達も含めて、その瞬間瞬間、刹那刹那に生まれては滅して、滅しては生まれて、を繰り返しながら存続しているという考え方です。その繰り返しはあまりにも短い間隔でおこる為、私達には認識出来ないので連続したものとして生きているわけです。
瞬間としての「今」を本当に充実したものとして生きる。
とても難しいことに思えますが、少し簡単に考えてみますと、例えば一心に何かに取り組んでいて時間を忘れてしまう程、その行為自体になりきったしまったというような経験はないでしょうか。そういった「瞬間」はとても充実したものなのではないでしょうか。きっとその時には過去も未来もなく、まさにその「今」を生きていると言えるのだと思います。
刹那的に生きるとは先の事などどうでも良いといった身勝手な生き方ではなく、今この瞬間を味わいつくすように生きるという事なのです。
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