永平寺故禅師さまが亡くなられて暫く立ちますが、故禅師さまは亡くなられるニカ月前まで授戒会の戒師をお勤め下さいました。最後の最後まで衆生教化を実践された尊い方であられました。私共の地区にも何度かお見えになり戒師を勤めて戴きました。その折、朝参の時のご垂示であります。
ここに純金の器と、金メッキの同じ器がある。皆さんは純金の器が欲しいでしょうね。私も純金が良いですが、始めから純金で生まれてくる人は居ない。居るとすればお釈迦様かな。私も金メッキですよ。しかし、金メッキは金メッキでも、最後の最後まで金メッキの器であり続けるならば、それは、純金にもまさり、おとらないほんもののうつわですよ。
大変奥が深く難しいお話しでした。それに付け加えて、世間ではおかしな風聴があって、真っすぐなものを真っすぐだと云うと、あの人は頑固だとか堅くてしょうがないとか云われ、その反対に、真っすぐなものが少し曲がっていても、まあええじゃないですか、と云う人は、あの人は出来た人だとか、丸くなってなんて言われて褒められる。変な世の中になってしまった。少し曲がっているものをまあええじゃないかと言い続けるとしまいには倒れてしまいますね。
真っすぐに生きられた禅師さまのお人柄が伺えるお話しでした。私も今まで、それぐらいまあええじゃないかと云って来たような気が致します。
人の心は弱いものです。間違いに気づいたときに正さなければ、立ち直すことが難しくなるのです。
二度と戻らないこの一日、この尊い命だから、間違いを間違いのままにせず、真っすぐなものは真っすぐに成るように心掛けたいものです。
自分に備わって居る仏性に正直に生きたいから、最後の最後までメッキをはがさないように、ほんもののうつわで居たいものです。
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