曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
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「命の大切さ」を伝える簡単な実践法 [No,1454、6月23日〜6月29日]

静岡県静岡市清水区 真如寺住職 山内常正 老師

 最近は、親が子の命を奪い、子が親の命を奪うといった、親子の間での悲惨な事件が、相次いで報道されています。その度に、「命の大切さを伝えていかなければいけない。」と評論家は指摘します。しかし、その具体的な方法を教えてくれる評論家は、一人もいません。
 そこで今日は、「命の大切さを、どのように、伝えたらよいか?」を、ご一緒に考えてみたいと思います。
 まずは、基本的な問いから始めましょう。それは、「命は、誰のものでしょうか?」というものです。大抵の方は、自分の命は、自分のものとお答えになるでしょう。でも、本当にそうでしょうか?
 もし、そうだとしたら、いつも食べている「魚の命」は、どうでしょう?「自分の命は、自分のもの」という考えに従えば、当然、「魚の命は、魚のもの」ということになります。魚に限らず、野菜もお米も、みんな命があります。
 それなのに、何故、私達は魚や野菜の命を奪ってまで、食べる権利があるのでしょうか?当たり前の疑問ですが、私達は、この疑問をつい忘れがちです。
 大自然では、これを、食物連鎖と呼びます。食物連鎖とは、ある生き物が、他の生き物を食べ、そしてまた、他のある生き物に食べられる。この循環によって、自然界の秩序が保たれているという考えです。
 ところが、人間だけは例外で、他の生き物に食べられることはありません。ここを、しっかり見据えたのが、お釈迦様です。
 ですから、この「食物連鎖」を、仏教的に言い換えると、「命の布施」ということになるのです。
 さて、話を元に戻しましょう。「命は、誰のものでしょうか?」お釈迦様の教えを、子どもにも分かるように、優しい歌にした仏教保育聖歌があります。その中に、「仏の子ども、私達。」という歌詞があります。
 そうです。仏教では、「命は仏様のもの」と考えているんです。私達だけではありません。動物も植物も、みんな、仏の子どもなんです。
 そして、魚や野菜は、私達人間が、仏の子供から本物の仏になる為に、自らの命を率先して、私達に布施してくれているというのが仏教の考え方です。
 こう考えた時、人間は、自分に与えられた命を、無駄にしてはいけないし、その命を授けて下さったご両親、そして、その命を育てる為に、自らの命を布施してくれた動物や植物に対して、感謝の念を忘れてはいけないのです。
 だから、その尊い命を頂くために、「手を合わせてから、食事をする」といった宗教的作法を伝えてきたのです。
 これこそが、「命の大切さ」を伝える、簡単で、確実な実践方法なのです。

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