曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

いただきます [No,1463、8月25日〜8月31日]

静岡県袋井市 龍雲寺住職 山中健志 老師

 皆さんは食事をするときに、この言葉を言っていますか。
 どうして、食事をするときに、この言葉をなぜ言うのか考えたことがありますか?食事をとるときの、「ヨーイ・ドン」と言う合図だと思っている人はいませんよね?小さいときから、食事をするとき「いただきます。」と言ってご飯を食べていると思います。(食事=いきる)と言う事は皆さんお分かりですね。
 器の中に入っている食べ物もすべて命のあるものから作られています。
 そして、生きる者は、生きるためにほかの命を食べなくてはいけません。
 今、一膳のご飯が目の前に置かれています。置かれるまで、多くの人の、相手に対して思いやる気持ちが、この一膳のご飯に込められています。
 お米を作る人 お米を精米する工場の人 お米を運ぶトラックの運転手 お店でお米を売る人 そして、そのお米を家族が買ってきて、ご飯を作ってくれる人 まだまだいい足りないぐらいの人々に助けを受けて私たちはご飯を食べることができるのです。ですが、私たちは、ご飯が出来て置かれるのが当たり前だと思っていて、気持ちも込めず、好きな物は食べ、嫌いな食べ物はお皿の隅にのこし、毎日好き勝手に食べていると思いませんか?
 私たちは、食べるということの大切さを忘れていませんか?
 次のご飯からでいいです、無理はいいませんが嫌いなものでも食べる努力をしてみませんか?
 残さず食べるということは食べ物の命を大切にする事「不殺生戒」になり、食べるものに感謝し施しをしてくれた人に対して思う気持ちが「愛語」となり、お米一粒に尽くしてくれた多くの人の気持ちが「布施」になります。
 食べることの中にお釈迦様の教えがあります。ですから、お坊さんは食事を作る事も、食べる事も修行のひとつなのです。だから、食べるときは、頂かせていただく気持から「いただきます」といいます。
 わたしたちは、ほかの命によって生かされているのです。だからこそ、ご飯の時には、この食べることの大切な気持ちと、この「いただきます」という言葉を忘れないようにしてください。では最後になりましたので、みなさん手を合わせてご一緒に「いただきます。」食べ終わったら、「ごちそうさまでした」この言葉もお忘れなく。

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