日本のことわざに、「袖すり合うも他生の縁」という言葉が有ります。これは「他の生命との縁」と言う事です。しかし、これを多い少ないの「多少の縁」と誤解しておられる方が多いと聞きます。
本来の意味は、人々のかかわりは、自分と相手の命と命。この生かされている命どうしのご縁が接近した時に初めて、袖と袖が振れ合うものですよ。おかげさま。と言う事なんですね。
言わば、道で、ひょんな事からぶつかり合ったとしても、「あっ、すみません」と、一言。おたがいさまですからと思えると、怒り心もわかず、やり過ごす事が出来るじゃないですか。
これを、多い少ないの「多少の縁」ととらえると、「お前がここまではみ出るからぶつかるんだ!!」と、怒り心がわいてけんかになってしまう。
本当は、他の動物や植物の生命を頂戴して、おかげさまで生かされている自分なのに、あたかも自分一人の力だけで生きている錯覚に陥ってしまい、イライラの日暮しを送らねばならなくなってしまうんですね。
日本曹洞宗の開祖、道元禅師様は、「霧の中を行けば、おぼえざるに、衣しめる」とお示しになられております。
これは、霧の中を歩けば、自分が知らない内に、衣がしめる。善き人に近づけば知らない間に立派な人となる。と言う意味を弟子たちに御教示されました。
先程の、「袖すり合うも他生の縁」と言う様に、自分も他人も同時に、おかげさまで、おたがいさまに、他の生命を頂戴して、生かされているんだと、謙虚と感謝の念に気付いた時、各人の専門分野とか、会社など社会生活の中で、善き方向や、もっと的確に指し示して下さる方に出会える様な気がして成りません。
自分が善きチャンスを受け止められる、大きな受け皿に成りたいものですね。
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