平日の午後七時頃、東京駅を出発した電車の中での事です。通路も一杯で、まさに寿司詰め状態でした。品川駅を出た後ではないかと記憶していますが、若い女性客が突然倒れました。友達らしき女性が「大丈夫、大丈夫」といって心配していました。「うん、大丈夫」と云っておりましたが、大丈夫ではないと少し離れていた私でも解りました。私は内心、誰か席を譲る人はいないのかな?と思った瞬間、近くの座席に座っていた初老の方が「大丈夫ですか?」といってその娘に席を譲られました。十五分も座ったであろうか「有り難う御座います。もう大丈夫です。」と言って席を立とうとしました。席を譲った方は「いいから座っていなさい」と何回も言っていましたが、倒れた娘は「もう大丈夫です。本当に有り難う御座いました。」と言って席を立ちました。ところが五分も経たないうちにその娘が、又崩れ落ちました。席を譲った方は、すぐに席を立ちその娘を抱き自分の席に座らせました。その娘は、「すみません」と何回も言っておりました。席を譲った方は、慈愛に満ちた顔で、「ここに私がいるとあなたは遠慮して席を立つから」と言ってその場所から遠ざかりました。私は初老の方が相手の立場にたって考え、そしてその行動を実践した事に対し清々しさを感じました。又倒れた女性の友達が面倒をみていましたので隣で座っている方が席を友達に譲っていました。私はその光景をみて、席を譲ってくれた方に心の中で心から有り難うと合掌致しました。
五十年前に是と同じ事があったならば、周りの人々はどのように反応したのかと考えてみました。現在のように無関心な態度を取る人は少ないであろうし、それなりに協力し助けたのではないのかと、当時の時代を振り返ってそのように私は思いました。又、現代の若い人達は人の好意を素直に受け入れる事ができないのか?それとも遠慮しているのか?どちらかと云うと受け入れ難いのかなと思うような感じを受けました。
江戸時代の『儒教』(朱子学)の教育で道徳的な面を補っていた日本人の良い所が段々と失われて来ております。最近それによって凄まじい事件が起きていますが、ある程度の道徳教育はすべきではないのかと感じた出来事でした。
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