曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

平常心のために [No,1475、11月17日〜11月23日]

静岡県三島市 耕月寺住職 甲賀祐慈 老師

 インターネットの書き込みに自分の悪口を乗せられたと言って、殺人未遂事件になったというニュースがありました。書き込んだ人はすぐに忘れてしまうでしょう。でも悪口を載せられた方は、読んでおしまいになりません。怒りと、その場で反論できない悔しさにとりつかれます。そして、ついに相手に直接仕返しをして、この思いに決着をつけなければと思う。しかし、この決着方法は間違っています。どこで間違うのでしょうか。人の悪口を書き込む奴が悪いに違いありません。でもそれを制御することはできません。書き込みを読まなければいいのですが、読んでしまったものを取り消すことはできません。読んだあとに、怒りを出さなければいいでしょうが、あとの祭りです。怒りをなんとかしようと、手をつければつけるほど、怒りは助長されます。怒りは勝手に出てきます。問題はその後です。現実世界から離れて、自分の中だけで自分を見つめながら思いが進行していくのです。そこに煩悩に落ち込む落とし穴があります。自分の怒りや悔しさをなんとかしたいと、自分だけを見つめて可愛がる姿勢に問題があるのです。解決方法が仏道にあります。怒りが出てきたら、それを静めようとしないのです。自分を見つめて内省しないのです。徹底的に自分を見つめないでいるとどうなるか。まわりの世界と自分の心が一つになってしまうのです。自分がまずあるというのが、人の思い込みであることがわかります。心の本当の姿はただ縁に従うだけです。でも人は好き嫌いをいう癖がついているので、怒りが出てきたらそれを嫌ってなんとかしなければと思う。出てしまったものはもう取り返しがつきません。取り返しのつかないままにしておくのが平常心です。自分の心といって特別扱いしないことです。それが仏道修行の様子であり、それがそのまま平常心です。

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