沢木興道老師は一口で言えば、正に禅僧らしい禅僧です。実に豪快洒脱にしてしかもどんな難解な仏教用語も、斬新にして簡潔明確に表現された事は他の追随を許しません。
一例をあげれば、「仏法とは見渡しのきく高い所に立って、低い所で乱れぬことである。」と申されます。高い所とはいわゆる仏のモノサシの世界です。低い所とはまさに現実の社会、人のモノサシそのものの世界に外ありません。
常に私達は、測り知れない広くて高い仏のモノサシから見なければなりません。しかし、誰しも現実は、ムサボリとイカリとオロカサという世界の真只中におります。その中で生かされているのです。
あのひねくれ一茶という人は、「タライからタライに移るチンプンカン」と詠みました。さすが迷い多い人生を生き通した一茶ならではの一句です。初めのタライは産湯のタライ、後のタライは葬式の棺桶の事です。つまりは、オギャーと生まれてウンと死ぬまで、大概人間の生きざまは、どうあがいてもチンプンカンといわれてもその通りで致し方ありません。しかし、たとえチンプンカンと言われようとも、常に仏のモノサシという尺度を持っていれば単なるチンプンカンというだけではありません。老師のいわれる低い所で乱れぬとは、うまい表現です。何事にも動ぜず少しでも人として乱れる事のない生活を送る努力をすることはとても重要な事ではないでしょうか。高い所と低い所とは簡単なようで実に含蓄のあることばではありませんか。
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