我昔より造れし処の諸々の罪科。皆いつとも知れぬ貪りとイカリと痴かさとによる。是は是この身体とこの言葉とこの心より生ずる処のものなり。一切を我今至心に懺悔したてまつる。
是はお経のはじめに合掌して唱える懺悔文です。
私共は日常の生活において知らず知らずに貪・ジン・痴の3つを積み重ねております。これは社会生活において、いさかいの基になるものばかりです。
仏の み教えは、共生きの生活、この三つの毒素が少ない方が良い事は明白です。
どうしたらこの三つを少なくする事が出来るでしょう?
道元様は典座教訓の中で、喜心・老心・大心というお言葉で述べられております。
貪りは大らかなこだわりのない大心へと、イカリはおだやかな喜心へと、痴かさは温かいなごみのある老心へと浄化させる。
この道程こそが、実は仏の道、人間本来の生活の道なのだと800年前私共にお示しなさいました。
喜心は人の喜び悲しみを自分の喜び悲しみとして受け入れる事の出来る柔軟な心。
老心は人の心の痛みを自分の痛みとして受け入れる事の出来る母の様な心。
大心はこの天地万物と一体になれる自在な心と申せましょう。
この三つの心を共に磨いてまいろうではありませんか。
これは本来私共が生まれながらに持っている心です。
何故と申せば私共は本来仏なのです。生き仏なんです。
なまけますと、すぐに曇ってしまいますが・・・。
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