私が幼い頃読んだ漫画に、次の様なお話がありました。
1人の指名手配中の強盗がお金を盗み、その結果警察に逮捕されてしまう。悔しがる強盗は牢屋に入れられるのですが、そこには金銀財宝が山の様に積み上げられていました。
それを見た強盗は、嬉しさのあまり飛び上がり、自ら進んで牢屋に入り、宝の山にしがみ付いてこう言います。「ひひひ、この金はぜーんぶ俺の物だ、誰にも渡さないぞ。俺はここから一生出ない。はっはっは」と。
「金庫刑」というオチがついてお話は終わりましたが、私は子供心に「怖い話だな」と思いました。強盗のお金による錯覚を、逆手に取っていたからです。
強盗は、目の前にある宝の山に目が眩んで、牢屋の中にいる事が分からなくなったのです。幸福は牢屋の外にあるという事を忘れて、きっと、一生を牢屋の中で過ごしたでしょう。
思い返すとこのお話は、人間の錯覚の怖さを浮き彫りにしています。お金は無ければ困りますが、沢山あるからといって、人間を幸福にはしてくれません。お金そのものが幸福をくれると感じるのは、錯覚です。同じ様に、限りがあるものを永遠だと思うことも、快楽だけを求め続けることも、錯覚です。人間は気をつけなければどんどん錯覚に陥ってしまいます。
今、この様な傾向にある人が多いのではないでしょうか。物が溢れている豊かな社会となりました。それでも私達の心は、虚しさを感じて幸福ではない様です。
人間らしさがどんどん失われているのではないでしょうか。人と人との触れ合いや、子供を育てること、食事の喜びなど。これらの充実感が本当の幸福なのではないでしょうか。
錯覚した強盗の様にならない為にも、目先の事に誤魔化されない目を養いたいですね。
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