曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

互いが頼り [No,1507、6月22日〜6月28日]

静岡県袋井市 成道寺住職 及川好寛 老師

 私と一緒に御詠歌の修行をして下さっている梅花講の講員様方は、何かにつけ「ありがとう」という言葉を口にされます。座布団を出してくれてありがとう、お茶を入れてくれてありがとう、お菓子をもらってありがとう、今日も一緒にお唱え出来てうれしいよ、ありがとうね。
 講員様方のお互いを思いやる純真な心は、お釈迦様が説かれる「仏心」「慈悲心」のお姿に重なります。
 先日、お釈迦様の誕生日、花祭りの折にお話しさせて頂いたのですが、お釈迦様はお生まれになられて直に七歩歩まれて「天上天下唯我独尊」と仰られたそうですが、この頃は「唯我独尊」を間違った解釈をしている方が多いですね。簡単にお話しすると、この世に生きる全ての命は普く尊いのです。そして私達は尊いご縁をいただいて人間として生まれ、誰しもが、生まれながらに「仏心」を備えています。私達の心の中に備わった仏さまを目覚めさせ、私達自身が仏さまになって下さい、とお示し下さっています。私達も仏さまになれるのです。
 しかし、私達の心には貪りという煩悩の中でも、とても醜いものが有ります。私達は自己中心で、自分さえ良ければ他人はどうでもいい、という心の働きを持っています。
 悲しい事ではありますが、表と裏、効果と副作用のように、貪りの心が有るからこそ、他人よりも良い暮らしをしたいと願い、様々な努力をするのでしょうし、懸命に働くのです。
 そう理解すれば、私達から貪りの心を抜きにしては、現実の生活は有り得ません。貪りという煩悩を取り除くことが出来ない私達ならば、せめて蓮の華のように泥沼に有っても美しい花を咲かせたいと願います。
 泥中の蓮の華とは、私達の心の内にある「仏心」に他なりません。
 私達の毎日は、煩悩の泥沼に明け暮れていますが、講員様方の「ありがとう」という言葉のように、暖かい思いやりの心だけは大切に守り続けて生きたいと願っています。

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