曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)
たのしみ法話
たのしみ法話

ただ [No,1516、8月24日〜8月30日]

三重県度会郡大紀町 金蔵寺副住職 糸川定伸 師

 私達の宗派、曹洞宗は坐禅を主としていますが、一言で「坐禅」と申しましても様々です。
 皆さんは坐禅と聞くと、どんなことを想像しますか。アニメの一休さんにみられるような、考えを起こしてそれを追い求めていくものや、また逆に無になることであると、言う方もいらっしゃるかと思います。
 しかし、曹洞宗の「坐禅」はそのどちらでもなく、ただただひたすら坐るだけの「只管打坐(しかんたざ)」というものです
 私の町は小さな漁師町で、いつも船の音や子供たちの笑い声が聞こえてきます。
 先日、とても天気が良かったので日向ぼっこをしていると、こんな会話が聞こえてきました。
 「あんたら二人で、どこへ行っとんなやな」
 「医者よ、医者」
と、元気な声で病院に行っていた事を話しています。「ひざの痛み止めも、胃の薬も何もかも、ちょうど全部なくなってしまったからだ」と話していましたが、このお二人の本当のお薬は、ただただ病院に行くことではないでしょうか。
 どうだ!僕はこんなに自由に空を飛べてすごいだろ!と飛ぶ鳥はいません。
 私、とっても綺麗でしょ?と咲く花もありません。
 大好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、または映画を見て涙したとき。健康のためにと始めたスイミングスクールや、ウォーキングで汗を流した後の爽快感。これらに求める見返りなどあるでしょうか。
 一日五分程度でも、イスでも結構です。まず姿勢を整える。次に目線を整え、呼吸を整える。最後に心を整えて、ただ坐る。
 昨今の世知幸い世の中だからこそ、今一度「ただ」を実践してみませんか。

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