私は先日、ある男性の葬儀を勤めさせて頂きました。その方は突然病に倒れ、懸命に治療を受けましたが、数日で亡くなられてしまいました。その男性には奥様がいました。奥様は突然のことで頭が真っ白になり、私が話しかけても受け答えができる状態ではありませんでした。「どうして?」「どうして?」と泣きながら、同じ言葉を繰り返していました。葬儀が済んでも奥様の心が晴れることはありませんでした。毎晩のように旦那さんを思い出し、涙を流していました。昼間は、仕事におわれて気が紛れていましたが、夜一人になると自然と涙が溢れてきました。時には、「どうして私を遺していってしまったの?」と、亡くなった旦那さんに怒りを向けることもありました。「元気出して」「頑張ってね」と沢山励ましを受けましたが、悲しみが癒えることはありませんでした。余計に辛くなることもありました。「どうしてこんなに辛いのだろう?」「どうしてこんなに苦しいのだろう?」と彼女はずっと考えていました。そんな彼女が旦那さんの一周忌の日、私にこう言いました。「この一年間、辛くて辛くて仕方がありませんでした。でも、それだけ多くのものを主人から頂いたことに気付きました。」
悲しみの大きさというのは、与えられたものの大きさでもあります。それだけ大きなものを彼女は、旦那さんから与えられたことに気付き、感謝の気持ちが溢れてきたそうです。彼女は、少し救われた思いがしたそうです。悲しみを乗り越えるということは中々できることではありません。いつまで経っても、亡き人に会いたいのが本音です。しかし、亡き人から与えられたものの大きさに気付くことで、少しでも救われるのではないでしょうか?
私たちは、常に多くのものを与えられて生きています。しかし、普段私たちはそれに気づいていません。一度立ち止まって、与えられているものの大きさを感じることが大切なのではないでしょうか?
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