「世の中は、何にたとえん水鳥の、はしふる露にやどる月影」という道元禅師様が詠まれた詩がございます。次の様な情景を頭の中にえがいてみて下さい。
湖に遊びに行った折に水辺に遊ぶ水鳥を見ておりますと、餌でも見つけたのでしょうか、水の中にもぐってまいりました。再び水面に浮かんで来た時には餌でも取り損ねたのでしょう、くちばしには何も持っておりません、そのくちばしに付いた水玉に折からの月の光が映って、ああきれいだなと思っているうちにポタッと落ちて元の湖の水に還ってしまうという情景ではないでしょうか。
西洋の諺に「人間の命は一本のローソクに火をつけた様なものである。火をつけたとたんローソクは刻々と減っていく、減らない様には誰も出来ない」と言うのがあります。その減っていくローソクの炎を何に使うかということは私達に許された自由であります。お灯明として、あるいは停電の時等は照明としてしばらくの間をしのぐことも出来ます。また何かに火をつけて火事にすることも出来ます。ローソクの炎を何に使うかということは、人間に許された自由であると同様に私たちの刻々と減っていく命の炎、それを何に使うかという事が一番大切なことです。
道元禅師様は「一期は夢の如く、光陰は矢よりも速やかなり、露の命は消えやすく、時は人を待たざるなり」と御示しになって居られます。どんどん流れていく時と、刻々と減っていく命、私達の人生の炎をどう使ったら良いのか、もう一度考えてみては如何でしょうか。
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