私の修行時代のことです。
お昼のお仏飯を持ちながら、スリッパを脱ぎ畳の間に上がろうとしたときでした。
スリッパが少し横を向き、きちんと揃わなかったのです。
両手が塞がっていて、時間も無かったので歪んだスリッパを足で直しました。
「おいっ!」
先輩の和尚様に見とがめられ、厳しい指導を頂戴しました。そして先輩は仰いました。「まだお前は我が残っている。自分を捨てろ。」と。
その夜、先輩に、こんなお話を頂戴しました。「この道場で、どうして4と9の付く日だけが、針仕事や洗濯等、自分のことをする日になっているか分かるか?それは、他の日は、自分のことは措いておいて、みんなのために動く日だからだ。」
そして、先輩は教典から、こんな言葉を示してくださいました。
「修証義」のなかから「自未得度先度他の心」です。
自らが救済される前に、まず他人を救済し、幸せにしょうと願う心。実践することがちょっと難しそうな言葉ですが、日常でもよく注意して見ると、ありますね。そして、我々も、出来そうですよ。
電車やバスで席を譲ったり、お母さんが子供に自分のより大きいハンバーグをこしらえたり、自動車を運転していて、車線に入りたい車を入れてあげたり、ほかにもたくさんありそうです。様々なボランティア活動もそうですね。そしてこのような行いを「菩薩行」といいます。
席を譲られた方からの「ありがとう」の言葉、「あーお腹いっぱい。」といった子供の幸せそうな表情、首尾よく車線に合流できた車からのお礼のハザードランプ。これらの反応をもらったときの、爽やかな気持ち。さらに言うなら、お礼なんてなくたっていい。善いことをしたときの満たされた気持ち。こんな気持ちは、なかなか他のことでは得られないと思います。文字通り「有り難い」ことです。
日頃、「自分が、自分が」とわがまま放題の我々ですが、たまには己の執着をぽんと放り出して、心安らかな菩薩さまになりたいものですね。
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