曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

われは仏にならずとも [No,1528、11月16日〜11月22日]

愛知県海部郡蟹江町 松秀寺副住職 則武大輔 師

私の修行時代のことです。
 お昼のお仏飯を持ちながら、スリッパを脱ぎ畳の間に上がろうとしたときでした。
 スリッパが少し横を向き、きちんと揃わなかったのです。
 両手が塞がっていて、時間も無かったので歪んだスリッパを足で直しました。
 「おいっ!」
 先輩の和尚様に見とがめられ、厳しい指導を頂戴しました。そして先輩は仰いました。「まだお前は我が残っている。自分を捨てろ。」と。
 その夜、先輩に、こんなお話を頂戴しました。「この道場で、どうして4と9の付く日だけが、針仕事や洗濯等、自分のことをする日になっているか分かるか?それは、他の日は、自分のことは措いておいて、みんなのために動く日だからだ。」
 そして、先輩は教典から、こんな言葉を示してくださいました。
 「修証義」のなかから「自未得度先度他の心」です。
 自らが救済される前に、まず他人を救済し、幸せにしょうと願う心。実践することがちょっと難しそうな言葉ですが、日常でもよく注意して見ると、ありますね。そして、我々も、出来そうですよ。
 電車やバスで席を譲ったり、お母さんが子供に自分のより大きいハンバーグをこしらえたり、自動車を運転していて、車線に入りたい車を入れてあげたり、ほかにもたくさんありそうです。様々なボランティア活動もそうですね。そしてこのような行いを「菩薩行」といいます。
 席を譲られた方からの「ありがとう」の言葉、「あーお腹いっぱい。」といった子供の幸せそうな表情、首尾よく車線に合流できた車からのお礼のハザードランプ。これらの反応をもらったときの、爽やかな気持ち。さらに言うなら、お礼なんてなくたっていい。善いことをしたときの満たされた気持ち。こんな気持ちは、なかなか他のことでは得られないと思います。文字通り「有り難い」ことです。
 日頃、「自分が、自分が」とわがまま放題の我々ですが、たまには己の執着をぽんと放り出して、心安らかな菩薩さまになりたいものですね。

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