私たちは毎日の生活の中の様々な場面で、大きなものから小さなものまで、数々の苦しみを感じながら生きています。
仏教では基本的な苦しみとして「生・老・病・死」、つまり「生まれる」「齢をとる」「病気になる」「死ぬ」の4つを挙げています。
この4つは自分のことでありながら自分の思い通りにならないものです。私たちが別の時代、別の生き方をしたかったとどれほど思っても、今あるこの人生を歩むほかありません。いつまでも若いままでありたいとどれほど願っても、年々齢をとり、老いを防ぐことは出来ません。常に健康でありたいとどれほど祈っても、すべての病から逃れることは出来ません。そして、死にたくないとどれほど叫んでも、誰もがいつかは死を迎えます。
生まれ、齢をとり、病気になり、そして死ぬという命あるものとして当然のことを、そうありたくないと執着することで、結局は思い通りにならず苦しむのです。
他にも、あれがしたい、これが欲しい、あの人は嫌だ、これは困る、そうした思いに人は執着するものです。この世の中は思い通りにならないことで溢れています。思い通りにならないことばかりだと言っても良いでしょう。
苦しみから解放されるには、思い通りにならないことも、思い通りにならないこととして、そっくりそのまま受け止めることです。自分自身のこと、身の回りのこと、他者のこと、すべてをありのまま受け止めることが出来たら、この世の中に苦しみは、もはやありません。
とは言うものの、口で言うのは簡単ですが、実際にそういった境地に至ることは容易ではありません。大事なのは、どうしたら常にそのように、あるがままに受け止めつつ生きることが出来るのか、考えながら毎日を送ることなのではないでしょうか。苦しみとは自分の執着心から生まれるのだと知るだけで大きく違いがあると思います。
自分の執着心に目を向けて、お互いにあるがままの毎日を送りたいものです。
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