曹洞宗には『修証義』というお経があります。そのなかに「海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり。」という一節があります。私が好きな一節でありますが、これは「海が川の水を受け容れるのは同事だからです。同事であるゆえに多くの川の水が集まって海になるのです。」という意味です。
では、同事とはどういうことなのでしょうか。
私は学生時代、絶対に他人の悪口を言わないという友人がいました。人は誰もが好き嫌いがあるもので、どうしても他人の悪いところが見えてしまい、悪口・陰口が出てしまうものだと思っていました。しかし、その友人から悪口を聞いたことがない。そこで「なぜ悪口を言わないのか?」と聞くと、「悪口を言うと、自分に悪口を言っているのと同じ」と答えてくれました。そのときは、「へぇ〜」と思っただけでしたが、住職となった今は、その意味がわかりました。その友人は自分と他人を区別していない。そして、これが同事であると気づきました。
「同事というは不違なり、自にも不違なり、他にも不違なり」これは最初に紹介した一節の前にある言葉で「同事とは違いがないということです。自分も他人も違いがない、区別が出来ない。」という意味です。そう、友人はすでにこのことを実践していたのです。他人を自分として受けとめ、自分のこととして考える。このことは、とても難しいことかもしれません。しかし、もっと身近なことを考えて下さい。ゴミのポイ捨ても誰かが拾ってくれると思うから捨ててしまう。その誰かが自分と同事であれば、捨てることはないでしょう。このような些細なことでも同事に結びつくのです。みなさんもこの同事ということを意識して生活をしてみて下さい。そうすれば、他人を拒否しない海のような人になれるのではないでしょうか。
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