「敵の手にかかるよりは、せめて父の手で最期を迎えたいのです!」
こう言い残してこの世を去ったのは、16才の若武者、源朝長です。
今から850年あまり前。京の都でおこった戦「平治の乱」。朝長は、父であり源氏の大将であった義朝、そして兄義平と、ともに戦いました。しかし、平清盛率いる平家に敗れ、味方のいる東の国へと逃げていきました。
命からがら美濃青墓の宿に着いた朝長たち。味方である大炊の長者に喜んで迎えられましたが、追っては近づいています。ゆっくり休んでいる暇はありませんでした。
「朝長は信濃へ、義平は飛騨へ、わしは東海道へ下る。味方を集め、再び都へ攻めあがろう!」父である義朝の声のもと、再起を誓った三人でした。
しかし、すでに朝長は、都から逃げる途中で受けた矢の傷がひどく、とても歩ける状態ではありませんでした。一度は宿を出ますが、すぐに引き返します。そして、
「敵の手にかかるよりは、せめて父の手で最期を迎えたいのです!」
こう、父義朝に願い、16才という生涯を閉じたのでした。
大炊の長者によって青墓の地、円興寺に葬られた朝長でしたが、平家の追手によって墓は暴かれ、京の都でさらし首になります。そんな姿を哀れに思った家来大谷忠太は、夜にまぎれて、朝長の首を奪い、遠く離れた自分の生まれ故郷にある積雲院に葬り、お墓を建てて供養したのでした。
こうして、岐阜県大垣市青墓、静岡県袋井市友永という150km以上も離れた場所で、首と胴体にわかれて眠りについた源朝長。しかし、その朝長が今、800年もの時を越えて、地元の人々の心の中で眼を覚ましました。
ともの朝長のお墓があるということで始まった大垣市青墓と袋井市三川の交流。それは地元の小学生に受け継がれ、平成5年に始まった青墓小学校と三川小学校の交流会は平成21年になんと、31回を数えました!小学校を卒業しても交流を続けている子ども達もいます。
人はこの世に生を受けると、<縁>という栄養をもらい、<人生>と言う花を咲かせます。そしてその花からは、その人にしかない種がこぼれ落ちます。それが、いつ、どこに芽吹くのかは誰にも分かりません。朝長のように、その種が800年もの時を越えて人々の心に芽吹くこともあるのです。
私にしかない種、そして他人にしかない種。いつか、どこかで咲かせる人のために。
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