先般、お檀家さんを連れて地蔵流しの旅に行ってきました。お地蔵さまの絵姿の札を流し、亡き人の供養や諸願成就をお祈り致します。大自然でくつろぎ、温泉で体を清める楽しい旅の行事であります。
その日も温泉に立ち寄り心の洗濯をしておりました。
お風呂につかっておりますと、数人の人達が入ってきました、体を洗い流す事なく直接飛び込むようにジャバ〜ンと、後はワイワイガヤガヤ心の洗濯どころではありません、全く興醒めです。
帰りのバスの中で、そのことが話題になり、今の人達には礼儀作法もなく困ったものだと一同苦笑いです。
和尚さん、お聞きいたしますが、ご本山に参拝旅行に行かせて頂きました時に、雲水さんが「お風呂場の中ではお話をしてはいけませんよ」と注意なされましたが。 普通お風呂は楽しく入るところと思っていたのですが、どうしてですか。
それでは丁度よい機会だから、ご本山の入浴の仕方をお話しましょう。
まずお寺の中は日常の生活すべてが修行なのです、たとえお風呂に入るにしても、たんに体を洗い流すものとされ、その意味では風呂場も大切な道場の一つなのです。
こんなお話があります、本山の禅師様が入浴してお風呂から上がられるとき、湯船の表面をそっとすくって捨てていました。その様子を見ていた雲水さんが不思議そうに尋ねました。
「禅師様は、なぜそのようなことをなされるのですか」
すると雲水を諭すように答えました。
「風呂場は大切な道場。道場を汚したままにしておくわけにはいかぬからの…。先に入ったものは後から来る人が気持よく入れるよう、後始末して出るのが入浴の礼儀というものだ。それを忘れるのは、まだまだ心の汚れが洗い流されておらぬ証拠じゃ。」
このお言葉を聞いて禅師様という地位にありながら、なお人々への心配りに注意を払う人柄に心を打たれたそうであります。
禅宗のお寺では入浴の際、湯船にタオルを入れたり、ガヤガヤと話をするなどという無作法は絶対許されません。それはむろん道場を汚してはならぬという考えと、後から入る人達への思いやりのためなのです。
さあ皆さん今日から地蔵流しの旅の良き思い出の教訓としてお風呂の入り方を考え直してみましょう。
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