人からつらい思いを強いられると「そんな殺生なことは言わないでください」と頼んだり、可愛そうな話を聞くと「それは殺生だ」などと使っています。殺生とは生き物を殺すということで、お釈迦さまからみても重大な罪であり、不殺生戒は第一番目の戒律となっています。しかし、この世の生物界を見ると、残念ながら殺しあいをしながら生きてゆかなければなりません。肉食動物は毎日殺生を重ね、その肉を食べてゆかなければ生きていけませんし、草食動物と肉食動物の両方を兼ねている人間もまた、殺生を重ねております。
しかし、ここで人間と他の動物との違いを考えてみましょう。ライオンやトラは、自分が生きてゆくに充分なだけの肉があれば、もうそれ以上は殺そうとはいたしません。満腹でさえあればたとえ側にいても安心です。人間はどうでしょうか?自分は殺されたくない、殺生なことはされたくないと思う反面、自分の生命を維持することとは関係なく、無益な興味本位の殺生を重ねている人がいます。最近は人間が人間を殺す。しかも保険金目的から無差別殺人まであらわれる始末です。万物の霊長などといいながら、人間ほど恐ろしい動物はないというところまで達しました。
人間が動物以下では困ります。人間同志の殺しあいはもちろん、他の動物に対する殺生も可能な限りつつしみたいものです。人間が肉を食べるのは必要悪だとしても、せめて仏さまにお供えする霊供膳くらいは、精進料理にして、罪を少しでも軽くしておきたいものです。そして私たちが生きるために殺生せざるをえなかった相手の動物には、供養と感謝をささげるとともに、多くの命に育まれている我が命を無駄に過ごすことなく、毎日精進したいものです。
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