朝日が輝き出す清々しい時刻、お寺の玄関チャイムが鳴り響きました。音というものは不思議なもので鳴らしている方の心がそのまま映し出されます。「これはお怒りの方かな?」と応対に出ると案の定、お顔を真っ赤にしてお爺さんが立っておられました。「いかがなされましたか?」と話しかけると、堰を切った様に「私の家の墓が無い!この寺は勝手に人の墓を撤去するのか!!」と怒鳴り始めました。こういうときに自分も怒ってはいけません、相田みつをさんも「せとものとせとものとぶつかりっこするとこわれてしまう どちらかやわらかければだいじょうぶ やわらかいこころを持ちましょう」と言われるように“やわらかいこころ”で一緒にお墓の場所へ行きました。その方の指す場所には確かにお墓は見当たりません。「お寺は勝手に移しませんから落ち着いて探しましょう」と管理帳を手に周囲を歩くと、少し脇にその方のお墓がまるで何事も無かったように朝日を浴び、きちんと安置されております。「あのーお爺さん。これでしょうか?」と案内すると「お〜あった!あった! 墓は在るのがあたりまえじゃ フンッ」との返答。お爺さんも安心したのか、先ほどまでの形相と違い穏やかな表情で掃除を始められました。
仏教において「怒り」は三毒(さんどく)といわれる煩悩の一つであり、仏道修行によって克服せねばなりません。戒律の中にも不瞋恚戒(ふしんにかい)「怒りを抱き自分を失ってはならない」と示されております。ではどうやって克服するのか?その方法は人それぞれです。怒りがでたら合掌する、お経を唱えるなど自分で心を静め落ち着く方法を見つけ出さなければなりません。私の場合、深く息をし「怒り」を見つめる様心がけております。
せっかくお墓参りに来られたのだから深呼吸して「怒り」を静めれば直ぐ大切なお墓が見つかり清々しくお参り出来たろうに・・。
お墓は相変わらず何事も無かったように朝日を浴び輝いておりました。
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