曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

行儀 [No,1569、8月23日〜8月29日]

岐阜県郡上市美並町 桂昌寺副住職 清水宗元 師

「この子はお行儀がいいね」とか、「この頃の若い者は行儀を知らないよ」などと使われる行儀という言葉は、一般に起居動作の作法、立ち居ふるまいを表す言葉となっているようです。
 「えらく他人行儀じゃないか」のように、行為そのものを指す場合もあります。
 行儀とは、本来、出家修行者が日常行う「行・住・坐・臥」などの行為の原則、礼拝などの仏事の立ち居ふるまいの方法、行事の儀礼を表す仏教語でした。
 それが一般に取り入れられたようです。
 近年、「(あたりかまわず道ばたなどに)座り込む若者たち」「「落ち着いて自分の席に座って授業を受けられない子供たち」など、若者のマナーの悪さがよく話題になります。
 私は、それは、「行儀」、なかでも「姿勢」の指導・しつけの軽視によるものではないかと考えます。
 私の子供時分には、例えば、食事中に肘をつきながら食べようものならば、必ず両親からきつく叱られました。
 学校でも、授業中に椅子に座る姿勢が悪いと、これもまた必ず先生から注意を受けました。中にはどうしても姿勢が改まらず、背中に「1メートル定規」を入れられて授業を受けさせられていた者もいました。
 今日、勉強ができる・できない、わかる・わからないが問題にされても、そういった「行儀」「姿勢」について、はたしてそれだけの注意が払われているでしょうか。
 子供の体力低下が叫ばれるようになって久いですが、中でも、背筋力の低下が著しいというデータがあります。
 これなど、「姿勢」の指導の軽視と関係しているのではないかと、私は思うのです。
日本の仏教、特に禅宗の修行道場では、坐禅を始めとして、この「姿勢」の指導が徹底的になされます。修行の中心の一つであるといってもよいほどです。
 これは、現代の、一般の家庭や学校における教育・しつけにおいても、見直されるべきものではないかと、私は思います。

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