お釈迦さまの遺された言葉のなかに「自分を島とし、自分をよりどころとし、他人をよりどころにしてはならない。教えを島とし、教えをよりどころとし、他のものをよりどころとしてはいけない」というものがあります。
たよるべきものは、ほかならぬ自分自身であり、またわたしがこれまで説いてきた教えである。わたしがいなくなっても、教えは残る。考えてみれば、師匠だの弟子だのということはない。自覚し、さとりにむかって修行するのは他人ではなく自分である。
教えは永遠の真実なのであり、それをたまたまわたしが説いたにすぎない、ということです。
「島」というのは「中州」といったほうがわかりやすいかもしれません。迷いと苦しみのこちらの岸から、静かでおだやかな涅槃のあちらの岸に渡っていくときの手がかり、といういみです。
「島」と訳したもとのことばは、「ともしび」と解釈することもできます。じっさい、漢訳では「自分を島とし」のところを、しばしば「自分を灯明とし」としています。
また、「諸行は無常である。おこたることなく精進せよ」というものがあります。
「諸行無常」といいますのは、「すべてのものはいつまでも同じままではいない」ということなのですが、古い教典を見ますと、この言葉のもとにお釈迦さまが強調していたのは、あくまでも、「生まれたものは必ず死ぬ。」という事実だったことがわかります。
「精進」というのは「勇者の心ばえ」「目標に向かって突き進むパワー」といったことを本来意味し、「勇猛」(ゆうみょう)と漢訳されることもありますが、仏教では一般に、「一心不乱に修行にはげむこと」という意味に用いられます。
人生は長くないのだ。また、いつ死がおとずれてくるかわからない。修行にはげむことのできるうちにせいいっぱい修行しなさい、ということをお釈迦さまはいっているのです。
これらのことばは、かぎりない勇気と決断をうながす言葉として、後世の仏教徒の指針となりました。まさに「遺言」というにふさわしいことばだといえるでしょう。
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