今年は良寛さまが亡くなってから180年の節目の年です。
年明けて正月六日の夕暮、坐禅のお姿のまま静かに息を引きとられたようです。
弟子貞心尼のことばによれば「師 病中さのみ御なやみもなく ねむるが如く座化し玉ひ」といわれますから、安らかな御最後だったと推測します。良寛さまの74年の長い生涯は、道元禅師の只管打坐という、ただ坐る坐禅を一人黙々と励んでこられた後ろ姿が目に浮んできます。何も考えないで只坐ることは簡単そうでその実は難しいものです。
しかも、いつも一人で坐禅する事は根気のいる努力が必要です。良寛さまのご病状はもうすでに直腸ガンも末期です。しかも亡くなる一週間前のこの年末ではさぞかしどんなにかつらい毎日であったことか私はただ推測するのみです。それでもその苦痛の中でも「ぬば玉の夜はすがらに くそまり明かし あからひく昼は厠に 走りあへなくに」とよんでおられます。暗い夜は夜通し下痢はするし、明るい昼はお便所へ走っても間に合わない、とありのままを歌によむとはさすが最後まで冷静であったと感服いたします。また別の歌では「こいまろび 明かしかねけり ながきこの夜を」ともいわれますから 苦しみのあまり一晩中七転八倒しておられるお姿も見えてきます。そしていよいよ最後息を引きとられる寸前で貞心尼が「生き死にの界はなれて住む身にもさらぬわかれのあるぞ悲しき」とよまれると早速息も絶え絶えにかすれた声で「うらを見せおもてを見せてちるもみぢ」とかえされたのがこの世の最後のお姿でありことばです。誰しも裏もあり表もある人生、長い人生もあればあっけない短い人生とさまざまです。道元禅師は「生死は仏の御いのちなり」と申されますから裏も表も尊い人生のひとこまです。うらを見せおもてを見せてちるもみぢ。
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