曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

こころを置く [No,1589、1月10日〜1月16日]

三重県熊野市 極楽寺住職 足立知典 老師

幼稚園の生徒を対象とした坐禅学習会をしたときのことです。脚の組み方、手の組み方、姿勢や呼吸の仕方、一通りを教え、実践に入ると、子供たちは、教えたことを必死に実行しようとします。できる子もいれば、できない子もいます。でも、座っています。自分の全身を投入して座っています。
 子供たちは、悟りを啓こうとも、偉くなろうとも思わず、精いっぱい座っています。人間の心の奥底にある純粋な命の輝きを感じます。全身全霊を投げ入れたところに、こころを置く作業を無意識のうちにおこなっています。
 ただひたすらに坐禅をする。子供たちの坐禅をする姿を見ていますと、坐禅とは生活とかけ離れた特別なものではなく、日常の生活行為の中にある真実そのものだということがよくわかります。命いっぱいの坐禅。十分間という短い時間ではありますが、背筋をピンと伸ばし、身動きもせず、その純粋な命の坐禅のなんと新鮮で美しいことでしょう。損得勘定などまったくない、偽りのない坐禅を見た思いでありました。子供たちに感想を聞きました。すると、「すごく時間が長く感じた気がする。スッキリとした感じ。またやってみたい。」など、とても好印象でありました。
 子供たちとの交流は、大人が忘れかけてしまっているものを、思い出させてくれます。本当に大切なものは何か。その大切なもの、こころをどこかに置いてきてはいませんか。子供たちをみならって、ただただ座る。それだけでいいではありませんか。
 自分自身を解き放ち、こころをおへそのまん真ん中に置いて、生きていこうではありませんか。

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