私はいま、村の社会福祉協議会に於いて、先任の老師様に代わり写経の指導をさせていただいております。寺院離れといわれるなかで、この写経や仏像拝観などは、心を癒やす趣味として大変な人気となっている様です。
写経は、印刷技術の無い時代には、仏教を広めるために専門の写経司が書写してそれを収蔵し、さらに諸国の国分寺に配布されたり、又は僧侶の研究のために書写されましたが、後に平安時代の頃より仏道修行や信仰として行われ始めました。
心静かに経典と向かい合い墨をすり、字の上手下手は気にすること無く、一文字一文字に心を込めて書写していくうち心が落ち着いていきます。これは雑音や雑念を無理に打ち消そうとはせず、あるがままに受け止めただ坐る「只管打坐」の坐禅と通じ、写経も坐禅と同じように、功徳を求めたり何かの結果を得る手段としてでは無く、その行い自体が功徳であり、目的であり、修行であります。
皆様も、お経を丁寧に書写し、身と心を調えていく坐禅の様に、写経そのものになって、静かで心安らかな時間を過ごしてはいかがでしょうか。
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