曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

心に怨みをいだいたとき [No,1594、2月14日〜2月20日]

静岡県牧之原市 長興寺住職 森田勝准 老師

以前、お檀家さんと西国三十三ヶ所観音霊場のお参りをさせていただきました。
 それぞれの札所では、『観世音菩薩普門品偈』という、観音様の功徳が説かれたお経を読んでお参りをしました。
そのお経の中の一節に、「もし誰かが心に怨みをいだき、刀をもってあなたに危害を加えようとしたとき、観音様のお名前をお唱えすれば、そのものの心にはたちまち慈悲の心が生ずるであろう」とあります。
 私は、本当にそんなことがあるのだろうか、と半信半疑で考えていました。しかし、西国のお参りを続けているうちに、まてよ、心に怨みを持った誰か、とは自分のことではないだろうか、と気がつきました。
 人を怨むことは簡単です。自分が気にいらないことや不都合なことをされたり、傷つけられたりすれば、自然と人を怨む気持ちになります。しかしながら、人を怨みながら生きていくのは辛く苦しいことです。寝ても覚めても頭に浮かぶのはその人のことばかりなのですから、怨んでいる人といつも一緒にいるようなものです。
 仏教を開かれたお釈迦様は、「怨みは、怨むことによってけっして無くなることはない、怨まないことによってのみ怨みは静まるのだ」と教え示されています。
 人を怨まないということは、難しいことです。しかし、もし人を怨んでいる自分に気がついたとき、自分の心に慈悲の心が起きますように、その人を許すことができますように、と観音さまに祈ることは誰にでもできるのです。
人を怨まずに生きていく、そんな生き方ができることを願わずにはいられません。

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