先日、地下鉄に乗っていた時の事です。車両の扉付近に立っていると、ご高齢のご婦人が車内へ乗って来られました。混み合う時間帯で席が空いていなかった為か、そのご婦人は私の隣で立ち止まりました。
幸いすぐに座席が空いたので、私はご婦人に声を掛けました。すると「後から乗ってきたので、お先にどうぞ」と、逆に席を譲られてしまいました。そして私は思いもよらない心遣いに少し戸惑いながらも再度お譲りしていると、新たに乗車してきた若い男性がその席に座ってしまったのです。
ところがその男性は、座るや否や急に立ち上がり「あっ、すみません、どうぞ」と、座ってしまったことを謝り、ご婦人にその席を譲られたのでした。
もしも皆がこの席に、我先に座ろうと考えていたら、不快な気持ちが生じていたかもしれません。
お釈迦様のお言葉に「人は『これは私のもの』と考えるもののために苦しむ」とあります。
今、私たちの身の回りにあるあらゆるものの存在は、様々なご縁によってたまたま自分のところに巡り合せたものであります。そしてそれはご縁によってまた遷り変ってゆくものでもあります。私たちがそれをいつまでも『私のもの』として留めようとする心には本来の安らぎは得られないことでしょう。
だからこそ、自分のために手を握り締めるのではなく、その手を広げ、誰かのために そっと 差し伸べる。
そんな心や行いがきっと、人と人とを繋ぐ大切な懸け橋となることでしょう。
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