本年三月十一日東日本大震災の発生から七ヶ月となりました。 改めて、亡くなられた方々のご冥福をご祈念申し上げると共に、被災された方々にお見舞いを申し上げます。この度の震災では、安全基準の問題から被災後の判断の誤りも含めると、かなり人災の面が多かったのではないかと指摘されております。具体的な事例は今後段々と明るみになってくることと思われます。
ものごとは全て、原因があって結果が現れます。より詳しく言えば、まず原因(因)があり、それを成り立たせる条件(縁)によって結果(果)が現れます。その結果は単に結果として終わるのではなく、その結果が世間に対する影響(報い)となって、次の原因へと繋がっていきます。これが因縁果報と言われる因果の理法です。つまり仏教の教える人生観とは、サイコロの目やパチンコの玉のような、投げ遣りな偶然論ではなく、また神様や他の力のようなものが、生れてから死ぬまでの全てを決めているというような決定論・運命論でもありません。あくまでも個人や集団の人々の行為の積み重ねによって現在はあり、また未来も創られていくのだという教えであります。これは、仏の子としての人間に対する、限りない信頼でもありましょう。
仏道における尊い行為の一つには、まず布施が挙げられます。布施とは、自らが世間に対して、できることをまず与えていくということです。震災当初、多くの方が寄付をされました。現在では、お金のある方は被災地の産業が回るように投資をする方もいらっしゃるでしょう。こうしたお金による布施を財施と言います。
また知恵のある方ならば、「こうすれば被災地や日本を復興することができる」というアドバイスができるかもしれません。これは広い意味では法施と言えるでしょう。
また現地では放射能汚染を恐れるあまり、夫婦の意見の食い違いから離婚したり、極端な件では妊婦の堕胎が増えているとも報じられ、新たな風評被害を生み出しております。そうした方々へは、正しい科学知識を伝え、「恐れ過ぎることはありません」と告げなければならないでしょう。これを無畏施と言います。
いずれにせよ、「何ができないか」ではなく、「何ができるか」を考えて参りましょう。一日一善。将棋や囲碁で言えば、一日一手、進めて参りましょう。その日々の一手が、周りの人々への励ましや、生きていく勇気となっていくということを、信ずるものであります。
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