曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

自由とは [1632 H23年11月7日〜11月13日]

三重県牟婁郡御浜町  長徳寺住職 宮本厚志 老師

私は、『自由』とは宗教的な要素の強い言葉だと思います。
広辞苑には、『自由』とは心のまま。思う通り。自由の語は唐以来次第に多く用いられ、我が国では、大宝令、日本書紀などに任意、随意、自恣、自専、ほしいままの意に使われた。
 仏教語、殊に禅語としては、不拘束の義を主とし、キリシタン用語(訳語)にも用いて、宗教的な深い意味を持たせた。
 自由自在。他から規定、拘束、強制、支配を受けない事。人間に関しては次の各種の意味に用いられる。
 行動の自由。選択の自由。意思の自由。道徳的自由。法律の範囲内における随意の行為。と中略ですが書かれています。
 しかし、現在の人々は『自由』をどのように考えているのかと考えてみると、現在の人々は自己中心的に『自由』を考えているように思われます。私は現在の人々が心に余裕をもって、自分の周りを見ながら生き、他人を思い、いたわり、助け合って『自由』を感じて生活して欲しいと思っています。釈尊は「人は人間らしく生き」「人は自分を大切にすること」と説かれています。
 高祖道元禅師様、太祖螢山禅師様は、私たちは自分一人で世の中を生き抜いているのではありません、自分を取り巻く多くの人々、動植物、自然環境、「仏のいのち」に支えられて生きているのですと説かれています。
 私も法事の後のお話で同じことをよく話をしています。毎日を生きてゆくためには、心の自己管理が必要だと思います。「自由」という言葉は「自分に由る」ということです。物事を自分が決定し、自分の責任で行動する。しかも、何をしても道を外れない。これが本当の「自由」だと思います。
 例えば、私が毎日の生活の中で「自由」をどのように生かしているのかと申しますと、私は小さな菜園とお米を作っています。朝夕の水やりや草取りの中で菜園や田んぼには沢山の動物がやって来ますが、私は害虫など生き物は一切殺生せずに菜園と田んぼを作っています。
 私も「仏のいのち」に支えられて生きています。ですから自分を取り巻く「仏のいのち」に感謝し、日々、自分の『自由』を得るためには厳しい山道を登る時のように、着実に一歩一歩前に進んで行く毎日を送りたいと思います。
 最後に、皆さんも自分の『自由』について心静かに考えてみてはいかがでしょうか。

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