曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

仏の導きとは [No,1633 H23年11月14日〜11月20日]

三重県南牟婁郡御浜町 林松寺住職 服部真覚 老師

苦しい、どうして苦しいのだろうか…。それを克服した安らぎの境地があるに違いない、そこへ至る道があるはずだ。ここに、釈尊、ゴータマ・ブッダが、道を求めた理由があったといえます。そして、実際にやすらぎの境地を体得し、苦しみに溺れる多くの人々に対し、そこへ至る道を示して導こうとしました。
 しかし、それは容易なことではありませんでした。そこで工夫します。導く際に、釈尊が重視した態度に「対機説法」があります。相手の素質や能力をよくよく知った上で、一番善い方法で教えを説くことです。修行が進んでかなり深いレベルまで達している人には、教えの核心を説いたでしょうし、初心者で予備知識のない人には、時間をかけてたとえ話や物語などを用いながら導いていきました。
 こうした「導き方」の特徴は、病気を治す時に用いる「薬」に喩えられます。どんな種類の薬でも、本来の目的は、病気を無くして健康な状態へ向かうようにする点にあります。ただ、薬はいろいろな種類があります。釈尊の教えにも似たところがあり、目指すところは苦しみの克服であって、方向性は同じだけれども、そのためには様々な種類の教えや説き方がある。
 経典には、次のような弟子の言葉が残されています。彼は、釈尊に励まされ導かれながら道を歩んできたことを思い、次のように語っています。「煩悩に流され運ばれている私に、奥深い教えよりなる、見事につくられた丈夫な梯子を授け、私に<恐れるな>といわれた」
 釈尊の教えは導きです。本当のやすらぎを得るための、激しい流れを渡るための丈夫な梯子を用意して、「さあ、渡りなさい」「何も恐れることはない」と、励ましのことばを送っているのです。

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