先日、月参りで檀家さんと一緒に修証義5章をお唱えしました。その後、『百歳生けらんは恨むべき日月なり』とあるが、仏教の世界では、百歳生きてはいけないのかと言われました。確かにその言葉だけの意味で考えれば、百歳生きてはいけないで合っているのですが、前後にはこう書かれています。
『光陰は矢よりも迅(すみや)かなり、身命は露よりも脆し』
時間は弓矢よりも早く過ぎ去っていきます。人の命は葉っぱの上の露のように脆いものです
『何(いず)れの善巧方便ありてか過ぎにし一日を再び還し得たる』
どれだけ良き一日を過ごそうとも、その一日を取り戻すことは出来ません
『徒らに百歳生けらんは恨むべき日月なり、悲しむべく形骸なり』
無益に百歳生きても、それは後悔の多く寂しい一生になってしまいます。
『設(たと)ひ百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも 其中一日の行持を行取せば一生の百歳を行取するのみに非ず 百歳の他生をも度取すべきなり』
例えば、百歳の日々の中で、一日だけでも真実の生き方が出来れば、尊い人生だったと言えるのです。とあります。
つまり、百歳、百年の永きに渡り、真実の生き方をすると大変ですが、一日一日、その日その日を真剣に真実を求める。その積み重ねによる年月を大切にすることが大事であるとの尊い御教えです。
みなさまも一日一日を大切に心がけてお過ごしください。
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