「自灯明・法灯明」―お釈迦様の智慧の光。
お釈迦さまは亡くなる間際に、集まった人々にこう言われました。
「これからは自らを灯とし、私が教えた法を灯にして行きなさい。」
これを「自灯明・法灯明」という言葉で表して仏教徒としての心の拠り所にします。
灯明とはロウソクに火を点じると、初めはゆれていた炎が、やがて静かに一点に集中してゆきます。この灯こそがお釈迦様の御教えを伝え表しています。
私には四歳の子供がいるのですが、赤ん坊の時、病院や行政で、這い這いを始めるのが何カ月目で、何カ月目になると標準の体重や頭の大きさはこうである、言葉を喋るのは何時頃と標準はこうであるという手帳や冊子を渡されました。これらと見比べ、私の子供は、標準よりも頭の大きさが違う。体重が違う。私達、特に兄弟がいない妻は不安になっていたのですが、幸い、家には祖父母が同居していた為、どの子も皆違って当たり前な事を知っているから、別段、標準なんて気にしなくてよいと教えてくれた為に安心してゆきました。
お釈迦さまは、相手の性質と能力に応じて、教えを説かれました。誰にでも同じ教えを説かれたのではありません。「あなたはこうしなさい。」といったかたちで、常に相手の立場に立っての教えを説かれたのです。
ですから、お釈迦さまの教えを守り、実践する自分、それを大事にする。それが、「自灯明」です。
そして、その「自灯明」をもって仏教を学んでいくのが「法灯明」。それが「自灯明・法灯明」なのです。
最近、インターネット上のサイトでお金を払い、自分のお店の悪い評判を消し、良い評判を書き込ませていた、という出来事がありました。これも何かと比べなければ決められない所があるのではないでしょうか。自分ではなく他人が良いといった物の方を信じてしまっているのではないでしょうか。マスコミの大量の情報もその類だと思います。
ですから、自分の子供の学校の成績の事で、目くじらを立てたり、隣人との出世や給料を比べたり、周りやテレビの中の人と見た目を比べてあがいたり、そんな事はしなくてもよいのです。そんなの気にする必要はないのです。
もっと自らを灯にともし、一人一人の人間を大切にしてゆきましょう。
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