曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

ただひたすらに拝む [1649 H24年3月5日〜3月11日]

静岡県伊東市馬場町 東林寺副住職 坂野道隆 師

追善供養という言葉をご存知でしょうか?
追善供養とは、故人やご先祖様の菩提を弔う為のご供養の事を言い、「現世にいる私たちが、善い行いをし、その行いによって得た功徳で故人やご先祖様を供養する。」という意味です。
 では、故人やご先祖様を供養する為の善い行いとはなんでしょう?
お彼岸やお盆、法事などの際にお花やお菓子、果物などをお供えになられるかと思いますが、その時の供養をする私たちの気持ちが、
 見えなくても綺麗なお花をお供えしよう。
 食べなくても美味しい御飯をお供えしよう。
という思いで、お供えをしていただければ、それは善い行いのご供養といえるのでしょう。
 又、何か特別にお供えをしなくても、手を合わせる事も善い行いのご供養です。手を合わせる事を合掌と申します。
故人やご先祖様の前で、身を正し、心を整えて、手を合わせる事は、心の中で故人やご先祖様と向かい合い、清らかな心になる事ができるのです。
私たちは日々の生活の中で、様々な善くない考えをおこします。それは欲望の心・怒りや憎しみの心・さらには人と比べて自分は幸せ・不幸せだなどと考えてしまいます。その様な考えが、「自分さえよければ」という自己中心的な考えを生み、自らの心を曇らせてしまうのです。私という存在はご先祖様から授かった尊い命であり、現代社会の中で多くの人に助けられ生かされている『自分』と言う事を合掌する事によって見つめ直し、欲望の無い清らかな心にするのです。
 朝起きてまず仏壇に合掌をして、食事の前と後に合掌して、寝る前に仏壇に合掌をして、ご先祖様より授かった私自身の尊い命を感じて頂けたらと思います。日々の生活の中で、ただひたすらに「拝む姿」こそが、ご先祖様へのなによりのご供養であり、仏法の大切なことの一つなのです。
損得の感情を捨て、見返りを求めない、清らかな心で拝むとき、私たちは身も心も美しい姿になるのです。

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