曹洞宗 東海管区 教化センター(禅センター)

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たのしみ法話
たのしみ法話

今を生きる [1654 H24年4月9日〜15日]

岐阜県瑞浪市 慈照寺住職 石神智道 老師

昨年度は日本という国にとって激動の年となってしまいました。それでもいつの間にか一年という歳月が過ぎまた新たな春を迎えさせていただけます。当たり前ということの有難さを文字通り痛感いたします。
さて皆様方は昨年度一年を振り返っていかがお過ごしでしたか?「一年悔いの無い充実した一年だったよ」と堂々と胸を張っておっしゃることができたなら、あなたは立派な方です。
 わたしなどは「忙しい」「忙しい」で昨年の終わりに「あれもすべきだった」「これもやっておかなければ」と悔いることが多くて、結局何もできずに終わってしまった気がいたします。こんなときに福井県の大本山永平寺を開かれた道元禅師のお言葉がしみじみと感じられます。
「他はこれ吾にあらず 更に何れの時をか待たん」
この言葉は道元禅師の書かれた「典座教訓」という本の中に出てまいります。
若き日の道元禅師が中国の禅寺で修行中のこと、ある暑い日、一人の食事係の老僧が庭で椎茸を干していました。背中は曲がり、眉は真っ白です。
道元禅師は、あまりに大変そうなので、誰かに手伝わせてはいかがか?と話しかけました。それに対し老僧は「他はこれ吾にあらず」と答えます。道元禅師は更に、ではこんな暑い時ではなく、もう少し涼しい時に仕事をされては?と言います。老僧の答えは、「更に何れの時をか待たん」というものでした。
この言葉を聞き、道元禅師は修行の何たるかを悟る事が出来たとのこと。
 「誰かがやってくれる」「明日があるからいい」という心持ではいけない。「今という時は二度とやってこないのだ」という気持ちで、その時その時を一生懸命努めなさい。人生の時間は刻一刻と過ぎ去っていく。繰り延べしている余裕はない。「他はこれ吾にあらず 更に何れの時をか待たん」という老僧のこの言葉は、禅の心、禅の修行の何たるかをまことに端的に表しています。
人生の「時」は休むことなく常に流れ続けています。大変なことは人任せ、面倒はいつでも後回しでは時の流れに引きずられていくようなものです。
「他はこれ吾にあらず」、皆さんの人生は皆さん自身のものです。自分でやったこと、やらなかったこと、全ての結果は自分に返ってきます。
 新たな一年を迎える「この時」だからこそ「更に何れの時をか待たん」の気持ちをもって昨年度一年を省み今年度の一年、そしてその先の一生をより良くするために努めてまいりたいと思うのです。

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