先日、ある幼稚園の送迎バスの運転手さんとお話しする機会がありました。そのベテラン運転手さんは私にこんなことを話してくれました。
「それまでは何も感じなかったのですが、毎日同じ場所で同じ子供さん達を乗せているうちに、一見同じように見えてもその日その日によって微妙に表情が違うのです。当たり前のことなのですが、私は最近になってやっとそのことに気付くことがでたのですよ。」
と、話すその表情はどことなく嬉しそうでした。
この運転手さんにとって、その何気ない気付きは、きっととても大きな発見であり感動であったに違いありません。「やっと気付くことができた」の「やっと」の言葉には、気付けたことの喜びが表れています。それはまるで会いたかった人に出会えた時の喜びのようです。
私たちには、小さなお子さんの僅かな表情の変化にも心を配ることのできるやさしさがあります。そして自分の中にあるそのやさしさにふと気付くことができたら、それは本当に幸せなことでしょう。
可愛らしくも尊い命の微妙な表情の変化に気付くことができた、自分の中にそれを察することのできるやさしさがあった、運転手さんはそのことが嬉しかったのではないかと思います。
私は、それは自分の中にある「命を慈しむ心」との出会いであると思います。
現代を生きる私たち人間にとって「仏様に出会う」とは、こんなちょっとしたことなのかもしれません。
その運転手さんは最後にこう続けました。
「それからというもの私の運転は変わった気がします。雨の日などは少しでも濡れないところに、少しでも安全なところに届けたいと思うようになったのです。」
さて、皆さんの中にはどんな仏様がいるでしょうか。そして、その仏様に出会っていらっしゃいますでしょうか。
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